自省 * Damn I was wrong. Lucky I realized.

  • 2008/04/09(水) 03:06:41

■不運と理不尽に襲われたとき、うまく切り抜ける人と、逃げ切れずに酷い目に会う人の違い
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080409

・・・でナイスなことを書いてた。  当たり前のことなんだけど、うっかり忘れるところだった。

→「不運と理不尽が襲ってきたときに、上手く対処できる人の多くは、不運と理不尽を食らい慣れている。」


僕が最初に直面したメジャーな理不尽は、香港と日本で正反対のことを教えられたりして混乱したことだったかな・・・。 懐かしい思い出だ。おっくせ(ry

親の性格も、それまで運が良かったのもあるんだろうけど、それまでは首尾一貫した社会の中を生きていればよかったから、適応に苦労しないのもある意味当然だった。  環境/社会に手のひら返されてはじめて器量ってのが出てくるものなのかもしれない・・・

2回日本から脱出しようとして、結局日本の精神論を論破できず残ることになったのだけど、それでよかったのか燻っていたのがすっきりした。

環境の理不尽に一応は耐えられたんだから、日本に残ってよかった。 学校の好き嫌いは別問題だけど、結果としては良かったと思う。 悪くいってたらどうのというのは意味がない。

当たり前のことだ^^;

→「世の中で正しいことを実現していくには、世の中が正しいことを前提として行動してはいけないのである。」

→「前提とされるべき社会正義などアテにせず、パワーゲームにはパワーゲームで対抗し、自力で社会正義を実現しようとする。」

→「ウィンプは不運や理不尽に襲われると、自分が悪くなかったこと、相手が悪かったことを証明して、だから私には責任がないという。 そして、それは道徳的にも社会的にも正しいことも多い。」


親の仕事の都合で、個としての根幹を揺るがされたカルチャーショックと、人生の一部を賭けた受験がセットになって立ちはだかった不運を嘆くのは簡単だ。 簡単だった^^;。 

いかに辛いかを書き立てれば、周りの同情を幾分かは集めることはできるし、それで結果的に失敗しても、診療所の診断書を掲げれば全てチャラにできてしまうか、他人は批判を止める。

が、実際自分の正義を完膚なきまでに貫いたかというとそうでもない。結構後になって正当化してるところもある。

実際に社会に放り出される前にこういう経験しておいて良かった。

帰国子女のケアという面では改善の余地ありまくりの西大和だけど、あえてしないというそのスタンスはやはり頷ける。 それでも中指を立ててしまうのは僕がまだまだだからか、違うのか・・・・^^;


昼にこのポスト、一日数学と生物と倫理と一緒に頭の中で反芻してると、それが当たり前になって日記に書くときに改めて書くようなことでもなくなっちゃったけど、方向修正という意味で一応書いておこうと思った。


通して感じたのが、やはり批判されないと僕はソフィストみたいに自分に都合のいいことしか見ないようになってしまうということだ。 他人は自分の鏡なり。

・・・・という意味では、予備校でも日本の方々と交わる努力をしたほうが良いんだろうな。   まあ、ダメ元でやってみるか。

このブログでいうマッチョとやらになる為にはそれも必要なのかもね・・・